文章校正(リライト)
◆さまざまな目的で書かれた文章の趣旨を生かしながら、表記ルールに沿ってより読みやすく正しい文章にグレードアップします。
◆さまざまな目的で書かれた文章の趣旨を生かしながら、表記ルールに沿ってより読みやすく正しい文章にグレードアップします。
◆ビジネス文章からあいさつ文、手紙文・メール文、メルマガ記事、投稿・寄稿用文章、論文・評論、句評など、ゼロから原稿を作成します。
◆ターゲットの心を捉える、新鮮で魅力的なキャッチコピーを生み出します。
◆製品名・商品名・社名・プロジェクトやイベントの名称から作詞まで、インパクトがあり、かつ人々の心を打ち続けるネーミングを行います。
◆筆記が困難な方に代わって、音声データや取材を基に目的に合ったさまざまな原稿を作成します。
◆社史・自分史・ドキュメンタリー・小説・ブログ記事など、ご提供情報を基に執筆します。
◆日本語に翻訳されたサイトのテキストを正しく伝わる日本語にリライトします。また、お取引先とのメール文をネイティブな正しい日本語にリライトします。
◆作者の原稿を校正・校閲・編集します。また、電子書籍としてKindleなどへの出版代行もいたします。
◆チラシ・パンフレットなど、印刷物の原稿作成から編集を行います。
◆お書きになった文章の添削をいたします。また、原稿作成のノウハウやコツをオンラインで個別指導いたします。
◆声を文字に20年の実績があります。水準の高い文字起こしならお任せください。
読みやすく魅力的な文章にグレードアップしてきました。
さまざまな文章を考案し原稿に仕上げてきました。
さまざまなジャンルの音声を高いクオリティーで文字に起こしてきました。
オリジナルのブログから代筆ブログまでいろいろ書いてきました。
夫婦2人で始めた小さな事務所です。事務所といっても何しろ2人しかいませんから、晩酌タイムがミーティングの場であり、発想の場であり、明日への活力を生み出す場です。とにかくよくしゃべります。
40代後半に差し掛かった私たち。20代、30代は会社勤めもやりました。起業もしてみました。5年前、田舎暮らしにあこがれて移り住み、畑を耕したりまきを割ったり屋根の雪下ろしをしたりと、村の人の力を借りて力仕事もやりました。介護も経験しました。社会の中で様々な経験をしながらここまで育てていただいたのです。
そして今、実感しています。お年寄りの知恵とパワーもすごい。子どもの純粋なエネルギーもすごい。若者の可能性に満ちたバイタリティーもすごい。そして・・・40代、50代の実体験に根ざした底力もやっぱりすごいのではないかということを。
私たちが大切にしているのは、「誠実であること」。そして、「しなやかであること」。縁あって出会う人たちと、お互いに気持ちの良いお付き合いができることを願っています。
「ホームページ開設のごあいさつ」(伊藤真理)2009.01.28
2004年の11月。ことなひまめ事務所は秋田のとある田舎で産声を上げました。2019年11月の時点で15周年を迎えたことになります。よくまあここまで。と、あきれるやら胸をなで下ろすやら。でもまだまだここからがいろんな意味で脂の乗り切った私たちの本領発揮の時です。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。
「大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。(中略)学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。(中略)ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」(太宰治『正義と微笑』)
青臭い青春時代、太宰治の『正義と微笑』の中のこの言葉に心が震えました。以来、ずっと私を支えてくれ、今なお励まし続けてくれている言葉です。
「ことなひまめ事務所」、このなんだか可笑しな名前は、事務所を立ち上げた時の私たち2人を象徴する造語でした。「ことな」――彼は、半分子供で半分だけ大人。「ひまめ」――彼女は、暇そうに見えるけど意外にまめな人。
あれから15年という月日が流れました。
その前の15年は、2人別々の場所で別々の人生を生きていました。私は企業に就職をして、社会人としての自分を育ててもらいました。そして、独立してフリーランスのライターに。夫は、やはり会社勤めを経験した後、起業して社長になって、倒産も離婚も経験してという波乱の15年。
そんな2人が、縁あって秋田の地で田舎暮らしを始めました。そして立ち上げたのが「ことなひまめ事務所」でした。
振り返ると私の企業勤めは、終身雇用が当たり前、女性は会社の華でよしとされていた時代から、男女雇用均等法が施行され、能力給の人事制度が導入されと、まさに社会の構造そのものが変わっていく時代の変遷の体験でした。
「何も分かりませんが、よろしくお願いします」とあいさつをした入社初日。恐れを知らないこの新入社員は、本当に何も知らず社会の縮図の中に入り、驚き、戸惑い、抵抗しながらも、3年ぐらいたつと仕事にも企業という怪物にも慣れ、後輩もでき、上司にもいっぱしの口を利くようになり、そして5年もすると生意気になり、自分の実力をちゃんと評価してほしいと思うようになり……私はそんな感じでした。
10年が過ぎると、自分はこのままでいいんだろうか……そんな思いがくすぶり始め、それは姿を変え、会社への不満となって爆発寸前。
当時、フリーのアナウンサーになるといって退社し、本当にその夢を実現した同僚がいました。同じ頃、志と夢を抱いて独立した若き起業家に出会いました。彼らは皆、きらきらと目を輝かせて語ります。それに引き換え、今の私は自分にOKが出せるだろうか・・・。
そして、フリーランスのライターになるという一大決心をして退社。「そんなに甘いもんじゃないからやめたほうがいいよ」という、先輩ライターの谷底に突き落とす親獅子のごとき言葉に最初の洗礼を受けながらも、勢いよく船出したのです。
取材で苦労をし、原稿は何度も駄目出しされ、書けなくて徹夜をしたり・・・。それでも、取材で出会った人からいろいろなことを感じ、学ぶ日々でした。
そんな挑戦の時代も、自分を支えたのは“一粒の砂金論”です。
普通に暮らすということは、とてもスゴイことだ!
次第にそんなことを思うようになりました。田舎暮らしをして名もなき普通の人々を取材したいと、今度は住む場所を変えたのでした。
畑づくりに燃え、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんたちにとてもかわいがっていただきました。そんな日々の記録を綴ったり地元の取材をしたりする一方で、インターネットを介しての仕事を始めたのでした。小屋に捨ててあった板に「ことなひまめ事務所」という文字を彫って小さな看板を作りました。
さて、そうして15年がたちました。結婚し、介護も経験し、親を見送りと、思い返せば本当にいろいろなことがありました。気が付くと、次の行動に移る時に「ヨイショ」という掛け声が出るようになり、若いってすごいなあと思うようになりました。
働き方改革が叫ばれる時代、「テレワーク」という言葉も聞かれるようになりました。それはもう15年前から私たちが実践してきたことです。会社に通勤することなく、いつでも、どこでも、どこからの仕事でも受けることがきます。
どんな働き方がしたいのか、散々模索して悩んでたどりついた今の「ことなひまめ事務所」というカタチ。
フリーランスですから、全く身分の保証がありません。給料ももらえません。管理もされない代わりに、管理してくれる人もいません。全ての責任は自分。働かざる者食うべからずの厳しい世界です。
それでもあえてこのカタチを選んだのは、組織に所属せず、依存せず、自分の能力で勝負したい、自分の思いが伝わる仕事をしたい、自分がわくわくする仕事をしたい、そんな思いと、何よりも大切なのは時間だと思ったからです。時間を自由に設計する、それが可能なカタチだったからです。
2人で過ごす時間、自分の時間、他の誰かのために使う時間、学んだり、楽しんだり、外の世界を知ったりするための時間。そんな豊かな時間が大切だと思ったからです。
そしてもう一つの思いが、小さな事務所だからこそ、1対1のお付き合いを大切にしたお仕事がしたいということです。これも私たちが大きな会社を経験してきてたどり着いた私たちらしさです。
このカタチであれば、ずーっとずーっと仕事をして生きていきたいなと思いますし、それが可能だとも思っています。
100歳時代、まさかそんな世の中になるとは思っていませんでした。
「年を取る」ことにはマイナスイメージがあります。「ベテラン」といわれる頂点の時期、そこを過ぎると、なんだかもう劣化するだけのような、高齢化対策――対策を講じなければならない人のくくりで語られるようになります。
でも、私たちは、それには異論があります。若い時には絶対になかったものが、経験という生きる訓練の底に一つかみの砂金、いえいえ、二つかみも三つかみものたくさんの砂金となって残っていると実感するからです。
経験という財産は、一足飛びには蓄えられません。そして、決して劣化するものではないと信じています。それを発揮して仕事に生かして届けられるのは、ちゃんとカルチベートされた人が持つ年輪のチカラだと思うからです。
人はそれぞれ歩む人生は違いますが、誰もが皆それぞれに重ねた年の分だけの経験を身に付けています。私たちも、身に付けた経験の分だけ、豊かになったと思っています。そして、豊かになった分だけ、良い仕事ができると思っています。
私たちの得意分野を生かして、その分野のプロとして、その人が何を伝えたいのか、何を書きたいのか、何を表現したいのかを、きちんと聞いて、読んで、察して、それを文章にするのが私たちの仕事です。
15年ずっと変わらない私たちのモットー、それは「誠実であること、しなやかであること」。一つ一つの仕事に、そして、一人一人に、「誠実であること、しなやかであること」。
これからも大切な皆さんとの約束、そして、自分たちとの約束です。
伊藤 真理 2019.11.11
13年前にはできなかったことが、今はできるようになったこともあります。仕事も人との関係も、そして暮らすということも、ありたい自分たちのスタイルをちゃんと描いてやれるようになりました。人から受けた恩に感謝する気持ちは13年分大きくなったように思います。
13年前にはできなかったことが、今はできるようになったこともあります。仕事も人との関係も、そして暮らすということも、ありたい自分たちのスタイルをちゃんと描いてやれるようになりました。人から受けた恩に感謝する気持ちは13年分大きくなったように思います。
「ことなひまめ」という小さな事務所を開いて13年になりました。そしてその後、ホームページ開設時にごあいさつを書いてから8年という月日がたったわけです。
13年。過去をあまり振り返らない性質の私ですが、13年前の写真を見て、これにはさすがに驚きました。なんと若く、初々しいことか。廃墟同然になっていた夫の実家を一生懸命補修している男女が私たちでした。
13年前、希望に燃えて田舎暮らしを始めました。が、やはり生きていくためには稼がねばなりません。新しい仕事スタイルを模索し、看板を上げたのが「ことなひまめ事務所」でした。2人ともなんてキラキラ、ピチピチしていることでしょう! この時、既に40を過ぎていたのですが、今より13歳若いということは、とんでもなく若いということだったようです。
13年前には、まだまだこれから何でもできそうな気がしていました。今、肉体は13年分しっかり劣化し、立派な熟年世代になりました。あの頃できたことを今もう一度やれと言われても、無理無理、絶対無理! と思うことだらけです。
でも、13年前にはできなかったことが、今はできるようになったこともあります。仕事も人との関係も、そして暮らすということも、ありたい自分たちのスタイルをちゃんと描いてやれるようになりました。人から受けた恩に感謝する気持ちは13年分大きくなったように思います。
これまで、仕事を通してたくさんのステキな人々に出会うことができました。たった2人の小さな事務所ですから、やれることには限りがあります。5時にはきっちり仕事終了、プライベートタイムになりますから、とてもとてもお金持ちにはなれません。でも、私たちはそれでいいのだと思っています。一つ一つのお仕事に誠実に向き合うこと、13年間ずっと変わっていません。そして、小さな事務所だからこそできることは、五十数年という年を重ねる中で蓄えた経験の分だけ濃くなったような気がします。
3年前に心機一転、市内に転居し、また新たなスタートを切りました。それでも、相も変わらず、今日何食べる? 明日は何を食べようか? おいしいね、楽しいね、そんな平和な会話がずーっと続いていることは、とてつもなく幸せなことなのだと思います。
一つ一つの仕事に、そして一人一人に、「誠実であること」「しなやかであること」をこれからもずっと大切にしていきたいと思っています。
(伊藤 真理)2017.12.22
言葉を扱う仕事をしている身の上から、常々感じている言葉に対する軽視風潮についての不安と希望を述べます。言葉を扱う仕事をしている身の上から、常々感じている言葉に対する軽視風潮についての不安と希望を述べます。
ICT、IoT、AI、SNS…そんな言葉を目にしない日はありません。情報技術の進展により、私たちは簡便な方法で意思伝達が可能になりました。
しかし、伝達手段が簡易になり過ぎた結果、私たちの言語能力は劣化の一途をたどっているように思えます。
「言葉」によって伝えることができる領域は無限といえるのに、その一部の利用にとどまり、特に「感情や情緒の伝達機能」は著しくないがしろにされる傾向にあります。
人間は機械ではなく感情を持つ動物です。「Yes」「No」だけで意思疎通が図れるはずはないのです。また、記号や絵文字が「言葉」の代用をするとも思えません。本来、双方の「心のありよう」を伝える道具として有機的に機能するものであり、それを連ねることで「文章」が生まれ、かつ、それが相互に織りなされることによって人間本来の心の通い合うコミュニケーションが成立するはずなのです。
感情を伝えることのできる「言葉」は、それゆえに意図せず人を傷つける力も持っています。こころの折れやすい現代人は、そのことにナーバスになり過ぎるあまり、抽象的で形式的な方法でコミュニケーションを取るようになってしまったのかもしれません。
しかし、それはとても残念なことです。言葉は人間だけの持つ素晴らしい発明品だからです。人に感動や勇気を与える言葉。真に人をシアワセにする言葉。愛を育む言葉。心を豊かにする言葉。それがどんどん失われ、いたるところで「コミュニケーションの砂漠化」が広がっています。
そんな現代だからこそ、私たちはあなたの「言葉と文章のオアシス」になりたいと思ってます。あなたのコミュニケーション力をバックアップするパートナーとして、末永く私たちをお役立てください。
(伊藤 靖)2017.12.10
2013年の7月から書いています。真面目なこと、あほらしいこと、いろいろです。ま、そういう人間が書いているのだから仕方がない。